魂のための時間

「忙しくて時間がない」
「やりたいと思っていたことが、何一つできずに1日が終わってしまった」
そんな風に思って無力感に襲われてしまうことがありませんか?

私も特に子どもが生まれたころ、
「ああ、もう1日が終わってしまった!何もできてない!」
とがっかりしてしまうことが増えたように感じていました。 
でも実はそれって、一日中仕事をしていた頃も実は同じで、
自分がやってみたいと思っていたことに時間を使えている訳ではなく、 
でも仕事した感はあるから、まあ、いっか...と誤魔化しているだけと気付きました。


そもそもやりたいと思うことができていないというのはどんな状態かというと、
・やりたいと思っていけど、そのための時間を用意していない
・やりたいと思っているけど、実際それをどうやったらいいかわからない
という状態だと思うのです。
それがわかって、時間を確保!したり(その方法はまた書いてみます)
やり方を調べてみよう!と動けたりすれば、それでOKです。
でも、「そんな時間ない...」となったり、「そんなことできない...」となったとしたら?
実はこういう場合は、まず
「なぜそれをやりたいと思ったんだっけ?」
ということに立ち返るのがオススメです。

私の場合、子どもが生まれた頃に一番欲しかった時間が、
「静かにゆっくり考える時間」でした。
カフェに座って、これからのことをああでもない、こうでもないと考える時間。
それが私にとって大切な時間でした。
(これは人それぞれで、人によっては「人にあって話す時間」だったり、「美味しくご飯が食べられる時間」だったりするかもしれません。)

しかし、そんな長時間は確保できなかった当時。考えたのは
「なぜ私は、静かに考える時間が欲しいのだろう?」
ということでした。
私の場合、単純に考えることが好きだったのですが、なぜかというと
考えていく中で、気付きを得た時の瞬間がたまらなく好きだったからでした。
さらに言うと、静かに自分に向き合って、自分のことに気づけた時、とても嬉しいと感じられることがわかりました。
そこで、短い時間でもその感覚を味わう方法は何かないだろうか?と考えてみることにしました。

そこでやり始めたのが、スキマ時間に自分が感じた違和感のメモを取ることです。
それまで私は、考える時間というのはまとまった時間でなくてはならない、と思っていたのですが、ふと感じた瞬間にメモを取ることで、新鮮なうちに書き留めることができ、短い時間でも”考える材料”のようなものが手に入ることに気付きました。
(義務にしてしまうと辛くなるので、気が向いた時、としてみました。そもそもやりたくて始めたことなので)

すると、時間にすればかなり短い時間なのに、
大きな充実感や安心感が手に入るようになったことに気づいたのです。

 

逆にいうと、充実感が大きければ、たとえそれがとても短い時間だったとしても大きな意味を持っているように思います。
自分らしいと感じられる時間が少しでもあると、それを栄養に次に進んでいける。
(この仕組みは後でまた書こうと思います)

それはささやかであっても、自分の魂のための時間だと思っています。


皆さんはどんなことをやりたいと思っていますか?
また、それをやりたい、と感じるのはなぜでしょうか?
小さなことでも少しやってみる、その一歩が大きなことに繋がっていくのだと思います。