夢中になるってどういうこと?①

年始は子どもといる時間が多いけれど、出かける先はあまり空いていないから、
近くの公園に行くことが多くなる。

滑り台で1歳の息子を遊ばせていると、
5歳くらいの男の子がかまって欲しそうな様子でやってきた。
当たり前だがなかなか一人では滑れない息子を横目に、
得意げに頭の方から滑り降りる様子などを披露して来る(笑)

男の子らしくて微笑ましく、「お兄ちゃんすごいねー」と声をかけながら、
親御さんはきていないのかな?と見ていると、後から小さな赤ちゃんを連れたお父さんがやってきた。
「そうかー。目が離せない赤ちゃん連れになってしまったら、お父さんも今までのようには遊べないよね」
と勝手に想像しながら見ていると、
他にも「楽しい!」というより「ちょっと渋々」といった様子で遊ぶ子どもたちが多いのに気づいた。なんというか、ちょっと仕方なしに遊んでいる感じ。

「仕方なく」「遊ぶ」というのが不思議な取り合わせという感じがしたのだけど、
自分が子供の頃を振り返って見た時に、「いつも夢中で遊んでいたかというと、そういうわけでもなかったなー」と納得しつつ、
でもできれば遊ぶときは夢中になれた方が楽しいよねー。
夢中になるっどうやって起きるんだろう?と考えた。

息子は今、体の動かし方を学ぶのが楽しくて楽しくて仕方がない感じ。
最近のお気に入りは階段を登ることで、放っておくと何往復でもしている。
(完全に一人でできるわけじゃないから、付き合うと腰が痛い 笑)
自分の今のレベルにちょうどいい課題に取り組んで、できるようになって行く過程は大人も楽しいから、息子の気持ちはわかる気がする。
では、5歳くらいになって、公園の遊具もあらかたマスターした子にとって、
楽しい課題や遊びってどんなものなのだろう?

一つの要素は友達や親と一緒に遊び、その中で起こるインタラクションを楽しむことなんだろうけど、そういう状況だとしても「何をテーマにしたら盛り上がるか?」というポイントは残る。
夫にそんな話をしたら、
「親父はキャッチボールが男の子との遊びの象徴と思っててやりたがったけど、自分は大して面白いと思わなかったんだよね」
と言っていた。
つまり、一緒に遊べばいいというものではなく、どういう設定で遊ぶかがポイントになる。例えばもしかすると、お父さんが元野球少年で、コントロールがしやすい投げ方とかを伝授してくれていたら、それをマスターする過程が楽しかったかもしれない。
そういうのを自分で見つけていけるようになるには、どうするのがいいんだろう?

(続く)